すかーとのすそのセンダングサ

画家すうひゃん。の日々感じたことの絵日記

否定しても存在して、私を作っているもの

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在日コリアン3世として東京に生まれて、成長して行く段階では、その考え方や思想、歴史の教育、
それを身にまとって生きて来た。

在日コリアンとして生きていく環境は同じ日本だったけど、日本社会とは全く異質のものだった。

はたして在日コリアンとしてのアイデンテイテイは教育によって確立して行き、定着するのだろうか?

私の場合は在日社会では生きづらすぎて、いつも違和感を感じていた。大嫌いだった。

18歳の時にはその世界から離れ、日本の専門学校へ行ったけど、最初、日本人の友達と考え方のあまりの違いに戸惑い、そしてここでもまた私は生きづらさを感じる事になった。

完全にスタートラインが狂っているとさえ感じていた。

教育課程で得たアイデンテイテイは在日社会では唯一無二のものだったけど、同級生の日本人の中では全く太刀打ちできず何も意味の無いもののように思った。同級生は流行りの音楽やファッションの話が主流、私は何も持っていないようで、思想とかアイデンティティとかそんなもの、むしろそれを隠し、生きなければここでは生きて行けないだろうと思い、それを隠した。

 

私の国はどこだろう。日本なのか韓国なのか朝鮮なのか。

 

拉致問題の時に在日は針のむしろだった。
私たちは戦争で日本に来て、ここに生まれ、その流れでここに生きているだけの存在で、
選挙権もないし、むしろ能動的な存在ではなく、どこかで起きる政治的事象に翻弄される受動的な存在。

 

日本では"韓国人です"と名乗り、
韓国に行けば"この人は日本人です"と紹介され、パスポートは韓国人だけれど、アイデンティティの根の部分では、いったい自分が何人なのかもよくわからない。

捨てられた忘れられた民なんじゃないかとも思う。

 

ありもしない特権やヘイトスピーチに翻弄されてることは少なくなくて、
在日は何か言って、知らない人に攻撃されるのがもういやで、あらぬことを言われても、みんな黙っている。

子供の頃はラジオ体操におまえらは来るなと近所の子に言われて、学校には右翼の街宣車が来る。

高校生のときにはチョゴリが切られ、同級生は右翼に刺された。デモの動員も毎年。

 

在日は、どんなに日本社会で根を下ろしても、決して消える事が無い“自分は在日である”という、どこか罪の意識を持っているのかもしれない。

でもそれすらもきっと、在日自身が作り上げてきた意識なのかな。

 

母になってからは子供の未来とかと世界についても、たくさん考えるようになったけれど、
でも作品にも、社会事情がテーマに入ってくるのは、マイナスなことではなくて素直に

あの社会で生きてきたことが大きいのかなという事実として、受け止めるようになった。

 

私は

在日だけど私でしかないので、やりたいように生きるよ。

でも私を作ってきたものは、否定しないで行こうと何となく思ってみたので、書いてみました。

 

在日教育とは全くの的外れな、できそこないの私という存在なんだけど、

目の前のことを頑張っていったら

今まで見聞きしてきたものと、私自身の生まれながらに持っている素養みたいなものがリンクして、

それがネガティブなものじゃない、革新みたいなものになったらいいなと、

うぬぼれとかじゃなくて、本当に願っている。

 

在日じゃなくても同じ。 

この文章を一生懸命に生きているすべての大切な友達に。

 

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