すかーとのすそのセンダングサ

画家すうひゃん。の日々感じたことの絵日記

父とのつながりのこと 学者の父と絵描きの娘①

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父とは4年生くらいから別れて暮らしていたけれど、

6年生の時、母から”アボジ(お父さん)と別れたよ”と告げられた。

私の記憶の中の父は学者で、絵に描いたような変わり者だった。

団地の6畳間の扉の奥には、丸まった論文の原稿用紙が散乱して、

部屋はたばこの煙で視界がぼやけるほどだった。その中にいつも

うずくまるように机に向かう父がいた。

おつかいを頼まれてセブンスターを2箱買って、おつりをもらえ

るんじゃないかと胸を弾ませて帰ったけれど、おつりを

くれることは無く、こづかいをくれない父をうらめしく思った。

そんな父は外国へ出張に行っては、その土地のめずらしい人形なんかを

買ってきてくれて、中でもドイツで買ってきてくれた

木彫りの人形を私は気に入って、ずっと大事に持っていた。

 

変人という言葉が良く似合う父だったけれど、外国に行って、お土産を

買ってきたり、論文に没頭している父を私は内心、誇らしく思っていた。

 

離婚後、父とは10年以上会うことは無かったし、母に気を使って会う

努力もしなかった。

でも大学生の時、風のうわさでD大学の教授なんだという話を聞いた。

 

あるとき、D大学に通う学生と知り合う機会があって、その学生に私は聞いた。

”kという教授を知っていますか?”と。

”知ってるよ”と学生は言ったので、私はうれしくなって

”私の父なんです”と言った。すると学生は”あー、似てる似てる。

感じがそっくりだよ”と言ったのだ。

私はドキドキして、(ずっと一緒にいないのに似てるってすごいな!)と

内心、心が弾んだ。

 

それから何年かして

姉の結婚式で15年ぶりくらいの再会を果たした。

父は昔より何だか全体的に四角くなった気がした。

母はしなやかなスタイルの美人で、私は全く似ていなかったから、

父を見たときに(私は父に似たんだな)とひそかに思った。

15年ぶりの再会でまずこんなことを考える自分は不謹慎なのかな。

でも、こんなものなのだろう。再会はあっけないものだった。

 

それから今の年になるまで、年1ペースで会うようになったけれど

なかなか頻繁に会うという感じにはなれなかった。

そんなこんなでもう父は75歳を過ぎ、私は宮崎へ移住してしまったので

いよいよ父と会う機会は少なくなった。

 

年々、もう父と会えないかもしれないなという想いは強くなり、

そのことで何でもないと思ってきた父不在の

空白の時間に私が欲していた何かがあることに気づいた。

 

もしもその”何か”を確認せずにいたらきっと私は、

死ぬまでその疑問を持ち続けるだろうと感じて、

なるべく父と一緒の機会には話したり、甘えたりしてみようと

心に誓った。

 

②につづく