すかーとのすそのセンダングサ

画家すうひゃん。の日々感じたことの絵日記

砂鉄の子供 生きづらさを抱えた人たち

今バイトしいている作業所には生きづらさを抱えた皆さんが通って来て 毎日畑で作物を作ったり選別をしたりしている。 彼らの持っている生きづらさは 自閉傾向や身体障害、精神など様々なんだけれど、 ここに来ている人たちは 素直に自分の感情を表現して 言…

否定しても存在して、私を作っているもの

在日コリアン3世として東京に生まれて、成長して行く段階では、その考え方や思想、歴史の教育、それを身にまとって生きて来た。 在日コリアンとして生きていく環境は同じ日本だったけど、日本社会とは全く異質のものだった。 はたして在日コリアンとしての…

実在する子供たちのポートレイト ”赤いマントの子”解説

シリーズ2 "リトルメロデイ" 実在する子供達のポートレイト子供達は多くの経験や知識の蓄積も少なく、瞬間知り得た情報をたよりに行動を選択して行く。 彼らはたくさんの情報や蓄積等無くても、100人いれば100人違う自己を持って生きている。 子供を育てな…

震災のたびに

真っ暗な森の奥、手探りの道を通りぬけたら 湧水がわいていると信じることが出来るのかな? ・・・・ 5年前に震災があって、ある日突然 思いもよらない事が起こると知った。 一瞬にしていろんな物は失われると。 すべての人にとって、死は遠いものじゃない、…

背後霊のはなし

宮崎に来る何年か前に 1歳年上の姉が ある霊能者のところへ行ってみないか?と言い出した。 何でも前世やオーラが見える人がいるらしいのだ。 私も姉も、女子の占い好き気分半分、半信半疑であったけれど、 何だか知らない世界を覗くようでわくわくし、行っ…

父とのつながりのこと 学者の父と絵描きの娘②

父とのつながりを強く意識した出来事があった。 まずは宮崎に来てからの絵との向き合い方が深く関連しているので それを話そうと思う。 2011年、綾に来てすぐ ご縁から 韓国語の通訳兼事務の仕事をすることになった。 その間は、全く絵も描かず毎日決まった…

父とのつながりのこと 学者の父と絵描きの娘①

父とは4年生くらいから別れて暮らしていたけれど、 6年生の時、母から”アボジ(お父さん)と別れたよ”と告げられた。 私の記憶の中の父は学者で、絵に描いたような変わり者だった。 団地の6畳間の扉の奥には、丸まった論文の原稿用紙が散乱して、 部屋は…

韓国と日本の真ん中でドキドキ

今日は絵の事と少し関係ないことを書きます。 私は日本で生まれた在日韓国人ですが、 日本にいても外国人、 韓国にいても外国人だと感じています。 ヘイトスピーチは私たちに出ていけと言います。 一度も住んだことのない外国のような母国に行けと言います。…

自分の表現に向かって

この絵は私が27歳の時に描いた絵です。 その当時、表参道はまだ、露店でアクセサリーや絵を売ったりする人達がたくさん並んでいて(今はもうそんなことできませんが)、 私も絵を見てもらおうと、描きためた絵を並べました。 その日、一人の40代くらいの男の…

出会いから 個展開催へ

<a href="https://ja-jp.facebook.com/galleryindividual" data-mce-href="https://ja-jp.facebook.com/galleryindividual">GALLERY INDIVIDUAL</a> 1年ほど…

終わることのない

絵を描き始めたとき、18歳のとき 通っていた学校の課題で雑誌の表紙の課題が出た。 その時は想いだけが先行していて 描かれたそれは 表現したかったものの半分も表現できていなかった。 その時に感じた無力感とか情けなさとか 今も鮮明に覚えてる。 私の原動…

子育て世代の大人のはなし

子供たちを誰が育てるのか。自分、社会全体、学校、友達・・・子供たちをどう育てるのか。きっちり社会のルールの通り、なるべく尊重して、ほっておく・・・価値観が多様化してきれいごとの自分勝手と思考停止の秩序とキャパオーバーの大人と・・・場所が変…

空想で遊ぶ子供と現実の中で生きる大人

みんな、空想の中で遊ぶ子供と 現実の中で生きる大人が共存している。 子どもの時にはたくさん空想して創造的に生きてた。 大人になると、社会の中でいかに上手に生きるかという スキルにほとんどの時間を費やして生きる。 空想の声は スキルにとっては むし…

宮崎 初個展

2011年6月に東京都町田市から宮崎県へ移住した。 もうすぐ4年が経つ。 子ども二人と旦那と仕事も無い場所へ来て 最初の2年くらいは絵も描けずに 役場の仕事をしていた。 今までやったことも無い、保険とボーナスがもらえる仕事。 生活のために必死だったから…

はるじょおん

小学校の頃、母が喜ぶだろうと 野に咲く、小さな花を摘んで帰った。 名も知らぬ小さな花を持って 息を切らして家へ戻り、 得意げに花を母に差し出した。 ”何その,びんぼうぐさ、こんな花,貧乏になるから 早く捨ててきて”と言われた。 小さな花は、私の手の中…

スカートのすそのセンダングサ

子どもの頃住んでた場所の すぐ近くに里山があって いつもそこで遊んでた。 たくさん遊んで家に戻ると、 どこでつけたのかわからない センダングサが 服にたくさんついてた。 遊んだ後に センダングサをとるのが とても面倒くさくかった。 だけど、親になっ…