すかーとのすそのセンダングサ

画家すうひゃん。の日々感じたことの絵日記

父とのつながりのこと 学者の父と絵描きの娘②

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 父とのつながりを強く意識した出来事があった。

まずは宮崎に来てからの絵との向き合い方が深く関連しているので

それを話そうと思う。

 

2011年、綾に来てすぐ

ご縁から

韓国語の通訳兼事務の仕事をすることになった。

 

 その間は、全く絵も描かず毎日決まった時間働いて、毎月決まった給料をもらい、

もらったことのないボーナスももらった。

絵は描けなかったけれど、その時間は

出来なかったことが出来るようになっていく、とてもやりがいのある時間だった。

 

そんな生活を続けて2年を過ぎた頃から

そろそろ絵を描く生活に戻りたい・・という想いは芽生え始めた。

反面

もしやめて絵に戻れば生活は不安定になるな・・と

柄にもなく迷う自分がいた。

 

どうなるかもわからない自分の才能に苦悩する日々。

過去の自分は楽しくもあり不安でもあったから・・

 

東京にいたころの私は、

何となく”今っぽいかっこいい”に憧れて

ツッコんだ表現を避けた絵を描いていた気がする。

今思えば

その当時は、まだ自分の表現というものが良くわかっていなかったし、

あれこれやってみてはしっくりこない。。という感じだったと思う。

何となく誰かがやってきたことの周りをウロウロして、いい感じのものを描く。

それでもそれなりの評価は得られたし

むしろ社会にエントリーするには、その方が賢いやり方だった。

 

でもそのやり方は、

いつも自分を抑えてるようで、何となく気持ちが悪かった。

 

そんなことを考えながら、

ふいに ”やっぱり絵に戻ろう”と決めた。

 

戻るならば今度は

”自分が求める表現を素直に表現していこう”と心に決めた。

 

その結果誰にも認められなくて、

年老いてのたれ死ぬかもしれないけれど。。。

 

どうしてここまで自分が覚悟するのか良くわからないし、

オーバーな自分に何となく気恥ずかしさや嫌気がさす。

けれど、とにかく

そうでなければいられない自分がいる、ただそれだけだと思った。

 

 

 

それから絵に戻ってからしばらくして

ひとつ上の姉が

”K(父の名前)で検索したらこんな文章があったよ”と父が書いた文章を

どこかの見知らぬ方が転載しているのを発見し、私に教えてくれたのだ。

 

3、「極道としての学問」

研究者というものはボス稼業の者を除けば大体3つのタイプに分類されるであろう.

すなわち,島を発見する人,最短航路を築く人,島を開拓する人の3つである.小生もときには開拓者,ときには最短航海士,といった風であったが,ほとんどの場合は畢竟,標準的な開拓者であったといわざるを得ない.その間,島の発見者になったことなどは皆無,しいて言えばただの1度だけはそのようなケースであったかもしれないと思えるのみである.研究者は,島を発見する人,最短航路を築く人,島を開拓する人,の順に温厚かつ勤勉なる紳士である確率が高くなると言われている.『島を発見する人』なんぞは,どちらかといえば性格破綻者に近いという評価さえある.それに反して『島を開拓する人』は堅実な日常生活を営み,精神的にも社会的にもバランスのとれた人格者であることが多い.こういう視点から自分自身の人生を振り返えってみると,島も発見できず人格者にもなれずただいたずらに日夜悩み続けて来たという実感だけが強い.さて,研究者の最高の栄誉は『島を発見した人』になって後世にその名を留めることであるとされている.研究者なら誰しもこの栄誉に恵まれたいと願っている.しかし,そのためには,本当に『何も発見できない』だけでなくシケの海であえなく『溺れ死ぬ』かもしれないという大きなリスクを覚悟しておかなければならない.このリスクは一般に “all ornothing”リスクと呼ばれているものであり,身も心もボロボロに擦り切れて社会的落伍者となる危険である(このことは,人類の長い歴史の中ですでに実証ずみである).だが,翻って考えてみると,この世は研究とは限らずあらゆる種類の危険に満ち満ちている.安全で確実な人生など1つもないのである.ましてや,安全だけにしがみついた人生など空疎そのものでしかない.であるとするならば,そして,いったん研究者としての道を踏み出してしまったのであるとするならば,いかなることがあっても『島を発見する人』たらんとする研究者魂だけは決して捨てまい.それでベストを尽くしたあとは思い煩うことは何もない,ただ天命に任せればよいではないか.このような信条こそが『極道』すなわち『道を極める』ことに人生を掛けた者達の心意気というものであろう(極道から心意気をとったら何も残らない!).いたずらに右顧左ベンせず,腹を据え捨て身で掛って行くうちには,極道にもそれなりの人格が備わって来るに違いないのである.美しいものに対する感受性とかけがえのない個性だけが頼りの極道達に幸いあれと祈らざるを得ない由縁である.

 

余談だけれど、

私は前世も背後霊も”やくざの親分”と言われたことがある。

まさに極道だ。

 

それはさておき

私はこの文章を読んで正直、とても驚き、不思議な父との縁を感じたのだ。

人にはそれぞれ考え方のクセだったり、

道筋のつけ方だったり、

その結論に至るまでの工程に個性があると思う。

性格的なものも強く影響するわけだけれど、

そこがどうにも似通っていると強く感じたのだ。

 

 

 

 成長する過程に父はいなかったし、何も教えてきてもらわなかったし、

父の声で人生について語るのを聞いたこともない。

 

 けれど学問と芸術という分野は違えど

もちろん結果を残した父と私は比較にならないけれど

私と父はとても似通った道の創り方をしているし

私がこうありたいというあり方で、ずっと先を生きていた。

 

一緒にいなかった時間を

たった1枚の文章が

すべて飛び越えてしまった。

 

きつねにつままれたような、そんな感覚。

 

まるでどこかにひそかにある物語を見ているようだった。

 

 

③に続く